大判例

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東京高等裁判所 昭和57年(ネ)468号 判決

控訴人

柏櫓トヨ

外四六名

右四七名訴訟代理人

山下豊二

根岸隆

町井洋一

児島惟富

戸田満弘

村上誠

被控訴人

右代表者法務大臣

住栄作

右指定代理人

富田善範

外三名

主文

本件各控訴を棄却する。

控訴人らの当審における予備的請求を棄却する。

当審における訴訟費用は控訴人らの負担とする。

事実

控訴人ら訴訟代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人は別紙目録の控訴人欄記載の各控訴人に対し、同目録金額欄記載の金員及びこれに対する昭和五五年二月二九日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言並びに当審における予備的請求として右主位的請求と同趣旨の給付判決及び仮執行の宣言を求め、被控訴人指定代理人は、主文第一、二項同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上及び法律上の陳述並びに証拠の関係は、次に付加するほか原判決の事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

(控訴人らの予備的請求の原因)

一  被控訴人の政府職員は、船舶の所有者等の責任の制限に関する法律(以下「本法」という。)の国会審議において、故意又は過失により、不十分な調査に基づく、又は虚偽の説明、答弁をし、もつて公務員としての義務に著しく違反し、国会議員をして、本法は従来の制度と比較して合理的であるとの錯誤に陥し入れた。

二  本法の国会審議における政府職員の説明、答弁及びそれが虚偽ないし誤りであることは、次のとおりである。

1  従前の免責委付制度について、被害者保護の見地から合理的ではないと述べた。しかしながら、免責委付制度は、船価の高額化、保険制度の発達、委付の対象たる海産に保険金を含むこと、先取特権、物上代位制度等により極めて合理的に機能してきた。従前の制度の下では、過去八〇年以上被害者が賠償を制限された例はなかつたのに、本法施行後わずか五年で、二〇〇件以上の制限例がある。

2  免責委付の実例を全く調査しないで、加害者の良識、気がねで委付されない運用が行われている旨の推測による説明、答弁をした。

3  本法制度の基礎となつている一九五七年ブラッセルにおいて成立した海上航行船舶の所有者の責任の制限に関する国際条約(以下「責任制限条約」という。)をアメリカ合衆国が批准していない理由として、アメリカ合衆国は船価主義と金額主義を併用しているためとのみ説明したが、アメリカ合衆国が右条約を批准しない最大の理由は、責任限度額が低額にすぎるということであり、政府職員はそのことを熟知していたのに、これを伏せた虚偽の説明をした。

4  船舶事故による損害額につき、PI保険(日本船主責任相互保険組合による保険)の例しか調査せず、船舶事故の約半数を占める漁船の大部分が加入している漁船保険関係の事故の実例について調査していないし、自動車事故、列車事故の損害額の実例も全く調査していない。

5  本法による責任限度額で、従来の例で実損がこれを上回わることは少なく、被害者にとつて、それ程不都合なケースは起きない見通しである旨述べているが、前記のとおり漁船事故、自動車事故、列車事故の損害の実例を調査していないのであるから、明らかに不十分な調査に基づく説明、答弁であり、客観的には虚偽である。

また、最低限度の三〇〇トンで計算すると、人損がある場合の責任限度額は二三〇〇万円となるから、過去の損害賠償の実例に比べて妥当な金額である旨の説明は、当時、自動車損害賠償責任保険でさえ、一五〇〇万円であつたこと、自動車事故の損害賠償実例が三〇〇〇万円を超えていたこととからみると、明らかに虚偽である。

6  本法による責任限度額を超える事故が発生した場合、責任制限手続をとらせないように行政指導をする旨述べたが、これは不可能なことを約束するものであるし、本法が成立しても必ずしも活発に利用されるとは思わない、企業側の良識をもつて責任限度額を超えて補填する運用になると思われる旨の答弁は、誤つた予測に基づく虚偽の答弁であり、また、責任限度額を超えた損害については、保険でカバーできる旨の説明が誤つていることは、現にPI保険組合が本法施行後定款を変更して責任限度額以上の保険金を支払わないこととしたことから明らかである。

7  以前から責任制限条約の責任限度額、特に人損のそれが低額すぎることについて国際的批判が強く、新条約制定の動きが具体化していることについて、政府は国会に報告すべきであるのに、これをしていない。

8  本法と類似の法制として、国鉄における鉄道運輸規程、航空機に関するワルソー条約、モントリオール協定等を説明したが、これらがすべて債務不履行責任に限定しており、不法行為責任は制限されないのにこれを伏せており、本法が不法行為責任の制限にあることからみれば、右の説明は、客観的には虚偽である。

9  本法の目的は国際的競争力を必要とする海運業の保護にあること、船舶事故の責任をすべて保険に転嫁することは保険料が高くなり困難である旨答弁したが、他方、現在ほとんどの船舶が保険に入つている、大型船のほとんどがPI保険に入つている、本法が成立しても船主は依然として従前と同額の保険を続けると見込まれる、海運業の保険料の総コストに占める比率は一パーセント以下である旨説明している点に照らすと、右答弁は虚偽であることが明らかであつて、保険料は海運業にとつてほとんど負担となつていなかつたし、本法の施行によつて保険に付する保険金額が変わるわけのものではないのであるから、本法は、客観的には、海運業でなく保険業を保護するものである。

三国会は、立法機関として、必要な調査を自ら行い、政府側の説明、答弁を正確に判断する義務がある。しかるに本法の審議に当たつた国会議員は、国会に課せられた右の義務を怠り、ほとんど調査をしないまま政府職員の前記のような不十分な調査に基づく、又は虚偽の説明、答弁を信用して本法を成立させた。

四その結果、控訴人らは、損害賠償債権を違法に制限され、侵害された。よつて、被控訴人は、控訴人らに対して、国家賠償法第一条により控訴人らに生じた予備的請求の趣旨記載の損害を賠償する義務がある。

(予備的請求の原因に対する被控訴人指定代理人の陳述)

一  控訴人ら主張の予備的請求の原因のうち、委付主義の制度が被害者保護の見地から合理的でない旨述べたこと、船舶所有者の良識、気がね等により委付されない場合がある旨述べたこと、最低限度の三〇〇トンで計算すると人損がある場合の責任限度額は二三〇〇万円となるから、過去の損害賠償額の実例と比べて妥当な金額である旨述べたこと、国鉄については鉄道運輸規程により、航空機についてはワルソー条約、モントリオール協定等により責任限度が決められている旨述べたこと、本法が対象としている責任と右規程、条約等が対象としている責任との相違について説明しなかつたこと、海運業は危険性が高く、多額の資本を要するので、企業の維持発展を図るため責任制限が世界的に認められている旨述べたことは認めるが、その余は争う。

なお、免責委付の実態調査については、昭和三五年以来おおむね年間一、二件である旨調査の結果を答弁しており、アメリカ合衆国が責任制限条約に加入していない理由については、責任ある答えはできない旨答弁しており、行政指導については、本法に基づく責任制限の結果、その損害賠償の内容が社会的にみて妥当性を欠くことになる場合には、そういう責任制限は行わないように行政指導をする旨述べたのであり、現に、外航旅客航路事業者は、運輸省の行政指導により旅客の損害については責任制限をしない旨運送約款に明記しており、新条約の動きについては、責任制限条約を改定すべきか否かの議論があり、そのための会議が予定されている旨述べている。

また、船舶事故による損害額についてPI保険の支払実績を説明したのは、昭和四九年における邦船八六六七隻のうち五九三四隻がPI保険に加入しており、PI保険から損害賠償金が支払われるケースが多いと考えたからである。

控訴人らは、本法は海運業の保護でなく保険業の保護であるというが、本法で船主等の責任が制限されることにより、船主等を構成員とする相互保険の負担が軽減されることは、まさに海運業を保護することに他ならない。

二  以上によつて明らかなとおり、本法の立案に当たつては、政府側において必要と考える調査は行つているし、国会における審議に際して、国会議員を欺罔したり、誤導したことはなく、政府職員に違法な点はない。

三  国会の議決によつて制定される法律の上位規範は憲法であるから、法律が憲法に適合する限り、当該法律の立法行為が違法となる余地はない。

本法第二章の規定が憲法第二九条第一項、第二項に違反しないことは最高裁判所大法廷の判断であるから、本法の立法行為が違法とされる余地はない。

四  以上のとおりであるから、控訴人らの予備的請求は、理由がない。

(証拠)〈省略〉

理由

一まず、控訴人らの原審以来の主位的請求について判断するに、当裁判所も、控訴人らの右請求は理由がないから失当として棄却すべきものと判断する。その理由は次の二及び三のとおりである。

二原判決の理由一から三まで(原判決四九丁表八行から五一丁表末行まで)及び四(原判決五一丁裏初行から)のうち原判決五二丁裏五行までを引用する。

三日本国憲法(以下単に「憲法」という。)第二九条第二項は財産権の公共の福祉に基づく社会的制約性を規定しているのであるから、同項は、特定の財産権の内容に公共の福祉に適合するような一般的な制約を加えることを目的としているといえよう。しかも、その内容は、時々の社会的要請により異なり得るものであり、その時々の要請を満たすことが公共の福祉に適合するゆえんである。そして、法律でその内容が定められた当該財産権は、それを何人が取得しても、定められた内容の制約を伴うことは自明の理であつて、そのような一般的な制約は、特定人の財産権を侵害し、ないしは特定人に特別の犠牲を課したことにはならず、これによつて何らかの損失が生じたとしても、憲法上補償の必要性はないというべきである。

本法第二章は、それが適用されることにより航海に関して生じた損害賠償債権が一般に制限されることを規定したものである。このように航海に関して生じた損害賠償債権を対象とするものであるけれども、広く損害賠償債権全般にわたつてひとしく制限を加えるのでなければ一般的制約になり得ないという理由はなく、また、右規定による制限は何人が債権者になつても適用されるものであつて、小型船の船主又は乗組員に対してのみ特別の犠牲を強いるものではないから、一般的制約であることに何らの妨げもない。

右の一般的な制約が公共の福祉にそうものであれば、それは憲法第二九条第二項に適合するのであつて、これによつて生じた損失の補償を国に対して求め得るものではない。この理は、一般的な制約の中味が大きくても、同様である。けだし、その制約の大きさに合理性がなければ、それは憲法に適合しないものとして、裁判所によつて当該法律の適用が排除される筋合のものだからである。

しかして、本法第二章の規定が憲法第二九条第一項、第二項に適合するかどうかについては、最高裁判所がこれを肯定しているのであるから、本法によつて制限された損害賠償債権について、その制限に係る損失の補償を求める本訴主位的請求は、爾余の点について判断するまでもなく、理由がない。

四次に、控訴人らの当審における予備的請求について判断する。

本法第二章の規定が憲法第二九条第一項、第二項に違反するものでないことは前記のとおりであつて、およそ国会で制定された法律が憲法に適合するものである以上、当該法律に係る立法行為の違法性が問題となる余地はないというべきである。

国会は、国権の最高機関であり、国の唯一の立法機関として、広く立法権を有し、国会で制定される法律は、上位規範である憲法に違反しない限り、国民に義務を課し、国民の権利を制限することができるのである。これを財産権についてみると、憲法は、私有財産制を制度として保障することを基本として、財産権の内容は公共の福祉に適合するように法律で定めることとしているのであるから、国会は、私有財産制の本質を損うものでなく、その時々の社会的要請ないし合理的政策目的にかなう限り、財産権の内容としての制約を広範囲に行うことができるのであつて、その範囲内の立法であれば、それは公共の福祉に適合するように財産権の内容が定められたというべきなのである。そして、憲法に違反しない限り、制約の内容は、立法政策の範囲内のこととして、立法機関である国会にまかせられているというべきである。

したがつて、法律が憲法に適合するか否かを決定する権限を有する終審裁判所である最高裁判所によつて合憲とされている法律に関しては、国会議員の行為を含むすべての立法行為に何らの違法性もないといわなければならない。

なお、本法の国会における審議に際して説明し、答弁した政府の職員の行為の違法性の有無については、これらの政府の職員の国会における行為が国家賠償法第一条第一項にいう公権力の行使に当たる公務員の職務行為に該当するかどうか疑問であるのみならず、前記のとおり本法の立法行為自体の違法性が否定される以上、右の立法行為を補助するための政府職員の説明、答弁等の行為により、何人かに損害が生ずるいわれはない。

以上のとおりであるから、控訴人らの予備的請求も、理由がない。

五よつて、原判決は結局相当であつて、本件控訴及び控訴人らの当審における予備的請求はいずれも理由がないから失当として棄却し、当審における訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第八九条及び第九三条第一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(賀集唱 梅田晴亮 上野精)

目録〈省略〉

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